糠平湖の絶体絶命 (2020-01-28)

写真は厳冬の阿寒湖

人は誰でも、一生のうちに一度や二度は命にかかわる重大な危険に遭遇することがあると思う。つまり絶体絶命だ。たとえば、峠道を走行中、対向車線の大型タンクローリーがカーブを曲がり切れず、タンクをドリフトさせて道路をふさぎながら眼前に差し迫ってきた時。そして、これから書くことも。

厳冬期、北海道山間部の湖は結氷し、ワカサギ釣りのカラフルなテントが氷上に散らばる風景が見られる。氷点下20℃以下まで下がる東大雪の糠平湖もそのひとつだ。昨年1月、氷結した糠平湖特有の現象、アイスバブルの撮影にお客さま二人をを案内した。アイスバブルは、氷にさまざまな形で気泡が閉じ込められる幻想的な自然現象で、最近はカメラマンに人気だ。後から知ることになるが、この年2019年は、アイスバブルのまれにみる当たり年だったそうだ。

この日、森を抜け湖上に出ると、やや遠くにワカサギ釣りのテント群。前日の降雪で白銀の氷上だが、軽い雪を払うと、どこにでもアイスバブルが見られたことに、僕たちは大喜びした。ここは、マイナス20℃以下まで普通に冷え込むので、氷の厚さは充分だし、ところどころ気をつけなければならないガス穴と呼ばれる凍らない穴には、目印の竹がさしてあった。

天気も良く、美しいアイスバブルに気をよくして、踏み固められた道を外れさらに大きなアイスバブル群を探そうと、一人で歩き出した。撮影している二人から数十メートルほど歩いた時、突然足元の氷が割れ、水中に落ちた。氷上にのった雪のせいで、氷の厚みがわからなかったのだ。まさか氷が割れるとは、思ってもみなかった。

普段、怠惰な日常生活で眠っていた脳が、身体が、瞬時に覚醒した。何が起きて、自分がどういう状況にあるのかを、すべて一瞬で理解した。足は底に着かない。すぐに氷水が体内に浸透してきた。非常に危険な状態に陥ったこと、一刻を争うこと、助けはないこと、着ぶくれした身はやがて沈むこと、すぐに氷水で筋肉が動かなくなること、おぼれる前に低体温症で何もできなくなること、それらを一瞬で確信した。長靴をはき雨具を着ていたため、体内に氷水が浸み込むのにほんの少しだけ、時間がかかった。また気密性のある雨具に、ほんの少しだけ浮力が生まれた。落ちた瞬間に、思考の外で勝手に氷上に両手を広げていた。水中に没したわきから下は、意思の通わない物のように無感覚になった。

とにかく、まったく猶予はない。すべてを理解しつつ、広げた両手で、体を後方に投げ出すように、ラッコのように氷の上にずりあがろうとした。幸いそれ以上、氷を割らずにずり上がることができた。水中に没した無感覚の体をずり上げるのだから、相当な力を使ったはずだが、氷を割らないように手のひらを広げて圧力を分散し、そっと力を加えたりもした。

この間、30秒だったのか、1分だったのか、3分だったのか、わからない。一瞬の出来事のようだったが、やけに冷静で正確に判断と行動が同時進行した自分がいて、なぜかあわてることのない時間だったように思う。

はい上がった後、僕は動き続けないと凍り付いて動けなくなるかもしれないと思い、二人に来た道をゆっくり戻るように伝え、一人だけ足早に車に戻った。衣服はバリバリに凍り付いていたが、興奮状態なのか、不思議と寒さは全く感じなかった。

しばらく興奮状態が収まらなかったし、思い返すたびにゾッとした。そして、あれが僕でなくて、あの二人のうちのどちらかだったら、救助するのは困難を極めること、そして恐ろしい結末を迎えただろうことを思うと、さらにゾッとした。

いまでも恐ろしいのだが、懲りずに今年1月あの二人とともに、再び糠平湖の氷上に立った。今度は、石橋を叩いて渡るがごとく、氷上を慎重に歩いて二人を案内した。昨年のような満開のアイスバブルには出会えなかったが、美しい東大雪の景色が迎えてくれただけで充分だった。