カラコルムハイウェイは、北は中国ウイグル自治区、南はパキスタンの首都イスラマバードへ大河インダス川に沿って続く山岳道路で、昔はシルクロードの一部だった。
イスラマバードから、カラコルムハイウェイをとおり、カラコルム山脈の中央に位置する巨峰ナンガパルバット標高8,125mのふもとの谷へのハイキングへ向かった。季節は春で、アンズの花が咲き始めたころだった。
とりあえず、車で山岳地の中枢都市ギルギットへ向かうのだが、ハイウェイ≒高速道路のイメージとはほど遠いきわどい道路で、窓からはガードレールのない道路のはるか下にインダス川の大峡谷が見下ろせた。道路は峡谷の中腹に沿って続いている。峡谷の側面は、どこまで高いのか巨大な集塊岩でできており、そのすべての岩が雨水で緩むと恐ろしい時限爆弾となるように見えた。景色は、荒涼としていて緑は少ない。
幹線からジープに乗り換えて山道に分け入り、ナンガパルバットの北面の緑の谷を目指したのだが、キャンプ一晩めから雪が降り続いた。草原は雪に埋め尽くされ、足元と視界が閉ざされてしまった。天候には逆らえず、早々と撤退してフンザで残りの日程を過ごすことにした。
帰りの山道は危惧したとおり、雪融けではるか高い集塊岩の側面から、時限爆弾となった岩が次々と降ってきた。恐ろしさになすすべはなかったが、幸いわたしたちは無事に脱出した。
桃源郷と呼ばれるフンザの春はさぞ美しいに違いないと、ここでも期待したが、あいにく深い雲が垂れ込み、谷奥にそびえる難峰ウルタルⅡも現れることはなかった。
気晴らしにギルギットへ遊びに行くことを希望したが、治安が悪く危険だからとガイドに止められた。カラコルムハイウェイの中国ウイグル自治区との国境クンジュラブ峠へ行き、中国人役人にお茶をごちそうになったり、フンザの宿にやってくる宝石売りの子供たちと遊んだりして過ごした。この時は断食禁酒のラマダンだったのだが、それにもかかわらず、ずいぶんお酒も調達してきてくれた。
この年の春、桃源郷はよほど機嫌が悪かったのだろうか。帰りのカラコルムハイウェイは土砂崩れで通行止めとなり、ギルギットから飛び立つ飛行機も欠航が続いた。
しかたなく、わたしたちはカラコルムハイウェイをイスラマバードへ戻れるところまで戻り、土砂崩れで通行止めの区間をポーターが担いでくれる荷物とともに歩いて向こう側へ渡り、向こう側で足止めをくっている車両を捕まえて、イスラマバードへ帰る作戦に出た。
危険地帯を抜けようやく向こう側に近づくと、数日ぶりの見慣れた2mに近い大男、ハッサンの笑顔が見えてきた。来るときにわたしたちをギルギットまで運んでくれたドライバーだ。再びギルギットへ向かおうとしたハッサンも、ここで足止めをくったわけだ。わたしたちは再会を喜んだ。心やさしい大男との交渉はすぐに成立して、イスラマバードへわたしたちを送ってくれるという。
滞在中、悪天候につかまり、予定変更続きの旅だった。桃源郷の山々は、ほとんど姿を見せてくれることはなかった。楽しくなかったかと思い返すと、そうでもない。おかげで、いっぱいイスラムの人びとのこころに触れることができたのだから。
登山家とトレッカーのあこがれの地、カラコルム。名だたる高峰と大岩壁がひしめく、カラコルム。この地にやさしい山などひとつもない。
写真は、古いポジフィルムをデジタルデータで。