列車マニアというほどではないが、海外旅行では機会があれば列車を利用したいと思っている。
シベリア鉄道はロシア極東の軍港ウラジオストクから、ハバロフスク、イルクーツク、ノヴォシビルスク、キーロフなどの大都市を経由してモスクワまで約9,300kmを一週間かけて走る。
漠然と抱いていたシベリア鉄道の旅が現実となり、2008年11月わたしたちは新潟空港からウラジオストクへ飛んだ。日本海をはさんで位置するウラジオストクは、ロシア極東最大の都市。文化は、もう東洋ではなく欧州だ。
列車に乗る前に、ウラジオストクのヨーロッパの古い町並みの映画シーンに出てくるような街を散策した。
列車は、一等2人用個室と二等4人相部屋に分かれる。同行のメンバーは一等、僕は二等に乗った。はじめの同室者は中年のロシア人女性で、まったく会話が成り立たなかった。おもな都市で乗客は入れ替わったが、7日間の乗車中、この女性が一番長い同室者で4日間くらいは一緒だったように思う。まったく会話にならないのだが、食事時になると必ず自分の食べ物を食べろと強く勧めてくれた。彼女に限らず、同室したほとんどの人は、同じように食事時になると自分の食べ物をふるまってくれるのが印象的だった。
ロシアでは、こうやって分かち合うのが普通なのだろうか。旅の後半は、大都市が多くなり乗客の入れ替わりが激しかったが、礼儀正しい人たちが多く不快になるようなことは一度もなかった。
食事はおもに日本から持参したアルファご飯やカップヌードルで、各車両に給湯器があるので便利だった。観光列車ではないので、食堂車はメニューに乏しく、たまに利用しただけだった。車内販売のピロシキやバイカル湖名物のオームリという魚の燻製、量り売りのビールなど、そんな楽しみもあった。
停車は、大都市でも20分前後。せいぜいホームのキオスクをうろつく程度の時間しかなく、発車の時刻になるとなんの前触れもなく静かに動き出す。列車に外国人はわたしたちだけで、一等車の同行メンバーには、車掌がいつも目を配っていて時間になると手招きしてくれるが、二等車の乗客は自己責任で乗り遅れることなく行動しなければならない。万が一乗り遅れたら、渋谷のスクランブル交差点ではぐれた幼児のようなものだ。そのときは、もっと面白い旅になることだろう。
11月だったため、日は短かった。前半は期待したとおり、タイガのなかをひた走った。冬を前にした風景は哀愁に満ちて、はるかな大地の広がりと異国の人びとの営みを思わせるのに充分だった。
会話ができるわけではなく、ぼーっと車窓をながめている7日間だったが、まったく退屈することはなかった。
いつか機会があれば、こんどは光いっぱいの春に訪れてみたい。
写真は、イタリアのミラノ中央駅。重厚壮大な大理石の建築は、世界で最も美しい鉄道駅と称され、美術館のよう。